旅行記|2015.09.19

また、あの頃の青を探して。~北海道&東日本パスで北の大地へ~

あの頃の青を探して。』のキャッチコピーに誘われ、青春18きっぷで九州へと旅に出たのが2005年。友人に囲まれ夢と希望に満ちた学校生活を送っていた当時とは一転、今では「あの頃はよかった…」と懐古するばかりの毎日を送っています。あれから10年。失われた何かを探しに、再び鈍行列車で旅に出ることにしました。

5時05分、上野駅5・6番線。宇都宮線と高崎線の始発列車が待つこのホームから旅を始めます。“第一走者”は521M宇都宮行。始発の15両とあって難なく端席をゲット。睡眠不足のため暫し仮眠を…と思いましたが旅の高揚感でなかなか寝られず。6時51分、いつのまにか宇都宮に着いていました。

宇都宮では629M黒磯行に乗り換え。両数が一気に4両に減り、車内はすでに満席でした。ここは運転席後ろのスペースに立ち、久々にかぶりつきをやってみることにします。岡本を過ぎると、豪雨災害があったばかりの鬼怒川を渡ります。この時間帯ですので、途中駅での乗降客はほとんど学生でした。7時47分に黒磯着。

黒磯では2127M郡山行に乗り換え。両数はさらに2両に減ります。今度はなんとか座席を確保。ここから客層ががらりと変わり、旅行者とみられる方が多くなります。車内には「津波警報が発表された場合のお願い」が掲示されていました。

さて、今回の旅では、青春時代に時刻表上で何度も思い描きながら成し遂げられなかったことを“回収”していこうと思います。今まさに進行中なのが、青春時代の忘れ物その1.上野からひたすら鈍行を乗り継いで青森へ。

郡山には9時01分着。次の1133M福島行までは27分の接続時間があります。この時間で朝食を済ませ、駅構内を少し探索。福島行列車の隣では小野新町行の気動車がエンジン音を響かせていました。

郡山発車時点で、セミクロスシートの各区画に1~2人が座る程度の混み具合。外はからりとした晴れ模様で、半袖の人も見られます。

10時14分、福島に到着。次の列車は11時発ですので、改札外に出てみます。駅前広場はいかにも地方都市の県庁所在地といった感じ。南側のロータリーにはタクシーがずらりと並び、北側ではバスが発着を繰り返しています。思っていたよりも大勢の人で賑わっていました。

阿武隈急行・福島交通の改札口まで歩いてみました。今回は東北本線経由で北上するため乗りませんが、次の機会があれば福島から槻木まで乗ってみるのもいいかもですね。

駅前広場の温度計。散策しているうちにも気温がぐんぐん上がり、30.1℃に達していました。たまらず上着を脱ぎ、半袖の人になります。

10時半過ぎ、改札内に入るともう次の列車が入線していました。3573M、快速シティラビット3号仙台行。車内に入るとこの時点でそれなりの混雑。セミクロスシートのロング部の一角に陣取り発車を待ちます。程なくして隣に座ってきたおっさんが讀賣新聞を広げ始めました。一面には「安保法案」の文字。

10時54分、郡山からの1135Mの到着に合わせて乗客がどっと雪崩れ込んできました。いかにも北海道&東日本パス利用者といった風体。皆さん青森まで乗り通すのでしょうか…

仙台に着くと、30分ほどの接続時間で駅そばを頂くことにします。唐揚げそば420円。お昼時ゆえに人も多く、味わって食べている時間はありませんでした…

12時45分発の2543M小牛田行に乗車。乗車時点ですでに満席。座席で駅弁を食べている人もおり「駅弁買ってさっさと座席確保しといた方がよかったかな…」と少し後悔。岩切でジャニーズ波動輸送を見送りつつ、塩釜を過ぎたあたりで車窓に松島を眺めつつ、13時30分に小牛田着。

続いて13時46分発の535M一ノ関行に乗り換え。跨線橋を渡り発車ホームに着いた時点で列車は未入線。ホームに並ぶ人々の多さを見て着席は諦め。掃除のおばちゃんたちが若干引き気味に長蛇の列を眺めていました。この旅で初のワンマン放送を聞きながら、缶詰状態の車内で一ノ関までの46分を過ごしました。

一ノ関では14時43分発の1541M盛岡行に乗り換え。大垣ばりに跨線橋を疾走する方々もいて、まさに一ノ関ダッシュの様相。本当に転倒している人がいて怖かった…

安全第一でなんとか座席を確保。仙台から立ちっ放しだったので、比較的長いこの区間で座れたのはラッキーでした。1時間半ほどの睡眠で体力を回復。盛岡に着くころには陽も傾きかけ、車窓一面の黄金色の稲穂がきらきらと輝いていました。

それにしても、せっかく上野⇒青森を初めて鈍行で乗り通すのに、乗り換えに必死でほとんど写真が撮れていません…。ちょっとシルバーウィークを甘く見てました。みんな考えることは同じなんですね。

盛岡からはIGRいわて銀河鉄道線に乗車。16時22分発の4537Mです。この駅では最初から着席を諦め、仙台ぶりのトイレへ。列車に乗車してみると相変わらずの混雑。山間の日の当たらない区間を走るうちに、いつとも分からず日が暮れていました。

二戸で17時43分発2565Mに乗り換え。小雨が降り始めてきました。ホームに並んで数分後に入線してきた列車の前照灯が雨粒を照らします。この列車でも結局座れず。そろそろ腰が悲鳴を上げてきました。次の駅に着くまでの長いこと長いこと…

青い森鉄道線内に入った八戸で、本日通算10回目の乗り換え。18時33分発、505M青森行。長いエスカレーターになかなか乗れず、またしても着席を逃します。不幸中の幸いにも壁にもたれかかれるスペースを確保できました。

車両は2013年製の真新しい703系。扉上部のLED案内表示器、三浦さんの自動放送…これだけだとまるで総武線緩行に乗っているかのようです。

19時57分、青森駅に到着。14時間47分の長い旅が一旦終わりました。このうち立っていたのが約7時間。修行のような行程でしたが、青春時代の忘れ物をひとつ回収できました。隣のホームへ降りると、スーパー白鳥27号が函館へ向け出発するところでした。

駅の外に出てきました。八戸で降っていた雨も今はもう止んでいます。駅前はコンビニ、飲食店などが並ぶ商店街となっています。信号機が縦型となっているところに雪国の趣を感じます。ところどころタクシーが停まっている夜のまちなかを歩いてゆきます。

青森まちなかおんせんにやって来ました。ここで修行の疲れを癒します。入浴料は420円と格安。タオルの貸出セット200円を一緒に買い求めます。

松任谷由実の『春よ、来い』が流れる大浴場。湯船に浸かった途端、15時間ぶんの腰の痛みがすーっと引いていきました。「湯治」という言葉の意味を実感した瞬間でした。

また、あの頃の青を探して。(2)

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